パワースポットの定義は「大地のエネルギーを取り入れる場所」といわれていますが、パワースポットという言葉が生まれる前から日本にはパワースポットの概念は存在していました。 江戸時代では「弥盛成地(いやしろち)」いわれ、草木が元気に育ち、エネルギーを感じられる場所、神聖な気の漂っている場所、神仏が宿っている場所を指していました。 みどり市内には多くのパワースポットが存在します。
大間々駅の駅舎は国の登録有形文化財(建造物)に指定され、映画のロケ地に何度も使われている木造のレトロな駅舎です。 ガラス窓のない車両で渓谷の自然をじかに感じられるトロッコ列車の始発駅となっています。
はね瀧道了尊は「どうりゅうさん」と呼ばれ親しまれている地域信仰です。 「拗ねた心の子どもは、すなほなれかし」と唱えてお願いすると霊験あらたかなり、大願成就すれば、お礼にねじり木を2本にして奉納する。(山田郡誌より)とあるように、道了尊は、青少年も健全育成の仏として非行に悩む親子がお参りし、立ち直りの手助けをする仏として、昔も今も信仰を集めています。 毎月28日の縁日、10月28日の大祭には多くの参拝者で賑わいます。
創建は寛永8年(1631年)3月、松源寺(しょうげんじ)は曹洞宗の仏教寺院で大間々のあじさい寺と呼ばれています。 本尊は聖観音。 境内には十三仏供養塔、守り本尊石仏が設置され、境内には桜・牡丹・つつじ・藤・紫陽花・紅葉等が植栽され四季を通して花を楽しむことができ、心の安らぎを感じることができるお寺となっています。 禅桂寺所有の優しく微笑む円空仏薬師如来像が拝観可能。 また季節ごとに合わせた招福刺繍入りの御朱印や絵入りの御朱印が人気です。
現在地に建立されたのは、江戸時代の寛文8年(1668年)、京都貴船神社の分霊を奉り、降雨や五穀豊穣を祈願したといわれています。 かつては養蚕の神様、今は交通安全の神様として知られ、毎年、正月の参拝者数は県内のトップクラスとなっています。 渡良瀬川の断崖の上に立つ境内からは、赤城山の雄姿や渡良瀬川の清流を眺めることができます。
日本鋼管創設者の一人で、近代製鉄の父と呼ばれた今泉嘉一郎(花輪村出身)の寄贈により昭和6年(1931年)にたてられた木造校舎で、国の登録有形文化財です。 童謡の父と呼ばれた石原和三郎や今泉嘉一郎の資料ほか、昔の花輪駅の柱時計や旧草木駅のホームの駅名表示板、手持ち式信号灯などが展示されています。
東町花輪に不動明王を祀った山間の小さなお寺で、昔から花輪のお不動様と親しまれてきました。 瀧の奥にある不動明王に向かう手すりには、独自の信仰として無数の金属製の人形(ヒトガタ)、手や足の形などがくくりつけられ、遠方からも参拝者が訪れています。
桐生市水沼にある常鑑寺(じょうかんじ)境内の鐘楼に吊られている梵鐘は、寛延元年(1748年)11月に、下野国佐野の有名な鋳物師(いもじ)丸山善太郎毎昭によって鋳造され、美術的にも価値の高い梵鐘となっています。 同じく、境内には、江戸時代の彫刻師と有名な関口文治郎による彫刻が施されています。
大正元年(1912年)に建てられた駅舎とプラットホームは国の登録有形文化財(建造物)となっています。 大正から昭和初期の風情を残す駅として、映画のロケ地にも使われています。 地域の皆さんによる手作り花壇で四季折々の草花を楽しむことができます。
穴原薬師堂は、明治頃の古書には、大同年間(806~809年)弘法大師の作という如来像があり、また、堂下に大師の御手洗井があり、湧き出る水の枯れることがないとの書き伝えがあります。
穴原薬師堂には寛政6年(1794年)に彫られた医王尊像が本尊として祀られ、日光菩薩、月光菩薩、12神将も安置し、昔から眼病によく効くと云われています。
楼門は、みどり市内に存在する唯一の楼門建築で、山門楼上には16羅漢の木像も安置されて、境内には無数の庚申塔や石仏があります。